資本としての身体:「稼ぐ」から「踊る」へのパラダイムシフト
現代の資本主義的枠組みは、理学療法士の社会的役割と職業的価値に多大な影響を及ぼしている。『22世紀の資本主義 やがてお金は絶滅する』が描き出す未来像によれば、貨幣経済の衰退と共に価値評価の軸がデジタル化やデータベース型評価へと推移するとされる。本稿では、同書の思想を踏まえ、理学療法士の職業的価値および社会的役割が今後どのように再構築されうるかを学術的視座から論じる。

河鍋暁斎 – 国立国会図書館デジタルコレクション, パブリック・ドメイン
貨幣経済消滅後の理学療法士の価値基準
これまで理学療法士の社会的役割は主に診療報酬という貨幣的指標を中心に規定されてきた。しかし、未来の「信用経済」あるいは「評判経済」の下では、理学療法士が生み出す価値は健康状態、QOL(生活の質)、社会参加度といった多元的で質的な指標によって測定されるようになるだろう。すなわち、個人の人生の充実度や身体的自己実現といった内面的価値が評価の中心となることが予測される。
一方、AI技術や高度アルゴリズムの浸透に伴い、身体機能の維持・回復を目的とした専門的サービスは、効率的な自動化や最適化が可能となり、人間の専門職としての理学療法士の必要性自体が薄れていく可能性がある。さらに、身体活動や健康管理が社会的に日常化し普及すると、理学療法士という特定の専門性が徐々に一般化・社会化することも考えられる。
意味創造者としての理学療法士:新たな専門性の可能性
ただし、この変容が即座に起きるわけではなく、移行期には理学療法士の役割はむしろ強化される可能性がある。経済的価値が「意味」や「象徴」へ移行する中、理学療法士は単なる身体機能回復を超え、患者の人生の再構築や意味創造を支援する専門職へと再定義されることが考えられる。つまり、理学療法士は患者個人が身体機能を通して主体的な人生の意味や価値を再構築する支援者へと進化する。
AI・アルゴリズムと理学療法のハイブリッド型臨床
「招き猫アルゴリズム」のようなデータ駆動型の意思決定技術は、理学療法士の臨床現場にも急速に浸透していくだろう。患者の生理的、心理的データを解析し、最適な介入方法を自動で提案するAIの普及に伴い、理学療法士にはこれらアルゴリズムの提示を理解し、患者固有の文脈に即して微調整する高次な意思決定能力が求められる。この「ハイブリッド型臨床」が、今後の理学療法士の標準的実践モデルとなる可能性が高い。
社会的格差と理学療法士の倫理的役割
AIとデータ中心社会においては、新たな社会的階層化や格差の助長が予測される。理学療法士は特に障害や疾病により社会的弱者となり得る人々への支援を通じて、「身体的資本」の公平性を保つ役割を担うことが求められるだろう。この役割は、単なる医療サービス提供にとどまらず、社会的公正や流動性向上を目指した介入を包括する社会的意義を持つ。
職業としての理学療法士の消滅と社会的普遍化
一方、AIが高度に発展した社会では、理学療法士による共感的なケアや心理的支援もAIによって模倣されうることが予想される。この場合、職業としての理学療法士は徐々に消失し、その専門性は社会の共通インフラとして一般化する可能性がある。すなわち、理学療法の専門性は、職業としての独自性を失う代わりに、広く社会全体の機能として普遍化される。
理学療法士消失後の身体性の普遍化
この職業的普遍化は、理学療法士の理念が社会全体に内在化することを意味する。結果として「身体が健康で動ける状態」は、個々人の社会参加や生活の基本条件として普遍化する。健康維持のための活動は、経済的目的を超え、文化的・社会的に根付いた普遍的価値へと昇華される。
結論:「稼ぐ」より「踊る」身体の追求へ
『22世紀の資本主義 やがてお金は絶滅する』の提示する社会的変化は、理学療法士に対して価値観の根本的再評価を求めている。理学療法士は今後、職業として消失し社会的インフラとして普遍化する可能性を視野に入れつつ、身体の健康や運動能力を社会基盤的価値として位置づけ直す使命に取り組む必要がある。最終的には、経済的価値のために身体を使うのではなく、人生の喜びとして「踊る」身体性を社会全体に広げることが理学療法士の未来的使命となるだろう。